今日の予備校からの帰り道、新幹線の車内から夕日に照らされた雲から光の筋が見える風景がすごく神秘的に見えました。古代から人がいろいろな現象に神の存在を感じることに当然のことに感じるほどです。

ですが同じ現象を見ても、感じることは本当に人それぞれ。

なぜ朝日や夕日は赤くなるのか、雲間に見える光は強く感じるのか?

これは科学的にとらえると、光の波長とコロイドの授業の時に説明している光の性質によるものです。波長の短い青い波長は散乱されやすいので空は昼は青く見え、夕方は通過する空気の層が長くなるため、長い波長の赤い光が目に見える。

また、雲間に光の筋が見えるのは、分散媒の空気の中にコロイド状に広がった水蒸気の粒子の粒に光が散乱されるために見えるからで、「チンダル現象」と呼ばれる高校化学で説明できるものです。

今日ふとブログを更新したくなったのは、この写真を撮りながら私が思っていたのは、子供頃に抱いていた様々な疑問を昔はちゃんと自分で調べて、理屈を考えて長い時間をかけて「自分で」理解していたことを強く感じたからです。

幼稚園のころ、全力で駆け出しているときに周りの建物はどんどん追い越して離れていき、遠くに見える山も少しは大きく感じられるように変化があるのに、「なぜ月は大きさも変わらずにずっと同じ位置でついてくるんだろう?」とても純粋な疑問でした。当時は太陽は眩しすぎて昼間に見ながら走ることはなかった代わりに、昼間に浮かぶ月が自分を追いかけてくる感覚に最初の違和感を覚えたのをよく覚えています。「なんで月はついてくるのだろう」「なんで空に浮かぶ星でもあんなに大きさが違うのかな?昼間に月が見えることがあるのってなんでだろう」

強い疑問を解決するため当時の自分には、図書館に行って星の本を調べたり、いろんな大人に聞いたりするしか方法はありませんでした。ですが、調べる作業には付随して「新しい疑問」が生まれることが多いのです。これは当時の自分の成長を促す指数関数的な刺激そのものだったと今では思います。

この疑問が生まれない今の子供たちはある意味不幸だと感じます。AIの発達は、人類の思考の退化を促している作用があり、人から「疑問」を奪い成長するチャンスを失わせている。想像に出てくるスペースグレイといわれる宇宙人は頭だけが大きく、身体は細く退化していると言われますが、実際には脳の収縮のほうが早く訪れるのではないかと思うほどです。

新幹線から見える車窓は、「近いもの」は早く通り過ぎ、山などの大きな「少し遠いもの」はゆっくりと過ぎ去り、夕焼けを作り出す太陽そのものは沈むことは止められなくとも、自分が250km/hで動こうともその動きでは影響が与えられないくらい「遠く」にいることを感じられるものです。

いろんな事象をきちんと捉えられる力を育むことを今の教育は妨げている。多様性という言葉は、理解しなくてもいい、それも貴方の個性だからという甘い言葉で本質を捉えなくてもいいと誤解を与えているとさえ感じます。天動説もそれは人の捉え方だからとなるならば、真実などもはやどうでもいいとなる。

今回タイトルとした「星を数えるよりもたやすく、雲の行方を追うより困難な」はポルノグラフィティの「ヴォイス」の一説です。

最近医学部入試を捉えるときに「難しい」ということは分かってると言っても、どれくらいの難しさなのか。星を数えることは今の科学を持ってしても不可能でも、雲の行方を追うことは困難でも可能。この差を分からずに、「どっちも難しい」けど頑張る。これは自分の立ち位置を捉えていない人の考え方です。では自分の立ち位置をどうやって捉えたらいいのか?

それは自分で一生懸命に自分はどこにいるのかと「自分自身で考える」こと以外にありません。ひたすら問題を解いて質問し、なぜできないのかを自分に問う…この先にしか成長はなく、近道とは単なるまやかしです。

長い人生です。高校生にとっては、自分の周りがすべてに感じるかもしれません。指定校推薦で抜けていく同級生をうらやましく感じることも当然のことですが、その先に待っている将来まで長い目で考えてほしい。勉強する量が減って大学に入学できたとして、その「ハンデ」をどう捉えるのか?大学の勉強についていけるのか?

いろんな視点で考えるように教えてくれた中学時代の三和塾塾長に今でも本当に感謝しています。理系に進むなら、自然と理系分野は勉強せざる得ないから自分が不足するであろう「文学」を自らと勉強するように、大学とは「大きく学ぶ」と書く、と言ってくださったことは一生の学びとして、生徒に引き継いでいきます。

同じことも捉え方によって、大きく変わる。

私立三教科に絞ったから楽なのか?文系なら数学的思考を、理系なら文系的な読解力を捨てた先に待っている将来は自分を成長へと向かわせてくれるのか?本当に冷静に考えてもらえると、「何系だからこの勉強はいらない」となりにくいはずです。そもそも勉強とは一生行うもので、日々成長するのか堕落していくのか、決めるのは自分自身です。

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